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ギターの挫折から47歳でギター再スタート [ギター雑話]

[↓]写真は1967年度の「ギター音楽芸術」
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13号、14号の季刊誌です。
出版元は関西ギター芸術協会です。
当時で、この季刊誌600円でしたが、
中身の濃い内容でした。 
ページの中間に
モノクロの海外のプロギタリストのプロマイド写真が毎回挿入され、
切り抜いては壁に貼り付けていました。
26歳の時に都合で、横浜から栃木へ引越しました。
最初は会社の社宅に入り、慣れない土地での生活で、
車の免許も取得したばっかしで土地勘が無く
遠乗り運転が出来なかったですね。
趣味はギターの他に無線をやっていましたが、
栃木へ来てからは、趣味がガラっと変わってしまいました。
会社の人達はギターには興味を示してくれません!最悪です。
パチンコとか競馬の・・取った取られた・・の話です。
全く私は興味なし!です。
仕事仲間で土曜の夜は、酒飲みの集いが毎週有りましたね。
好きだったギターが段々遠ざかっていきました。
ギター教室も探したのですが、
近くにはギター教室は見当たらなかったですね。・・
栃木と言えば「さつき盆栽」趣味が盆栽に移り、盆栽に夢中になりました。
木造建築に使う足場板が皐月盆栽棚に丁度良く、集めて作りましたよ。
好月、山の光、大盃、八咫鏡、日光、など多品種を育てましたね。
約20年間、ギター独学は自己流の毒学になってしまいました。
ギターはここで完全挫折です。
会社の仕事も忙しく、仕事!仕事!の毎日でしたね。
45歳の時に茨城県八郷町に『ギター文化会館』が有る事を知り、
早速、八郷のギター文化会館に行きました。 
家から約1時間20分位です。
随分と辺鄙な所にギター文化会館が有りました。
それからは毎週のように
ギター文化会館へドライブがてらに通いましたね。
ギター文化会館でのコンサートも何回か聴きに行きました。
P1010609.JPGギタリスト:中林淳真さんの演奏を聴く。
ファンクラブが出来ると言う事で会員番号1番を貰おうと、(№01~10)
頑張って行ったのですが、残念ながら1番は先を越されましたけど、
10番内の若い会員番号を取得出来たので満足しています。
茨城県八郷町『ギター文化会館』1994年頃
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このギター文化会館で、
専属ギタリスト:飯田先生にギター教室は何処に有るのか教えてくれたのです。
P1010606.JPGギタリスト:飯田明さんの演奏を聴く。
いよいよギターを改めて勉強しょうと意欲が湧いてきましたね~
ギター文化会館の紹介で新しいギターを買いました。
P1010594.JPG’1994西野春平氏製作ギター
教室に通う前にカルカッシの練習を1年ぐらい独学で練習してから、
再びギター文化会館で教えて頂いた、ギター教室へ行ったのです。
教室の先生は現代ギター誌にも名前が載っているギターの講師でした。
当時47歳で遅いギターの再復活です。
先生に先づ≪カルカッシ25のエチュード≫を教材として
レッスンを受ける事にしました。
初めての曲は「緑の木陰にて」です。当時の音声録音をアップしてます。
2013年YOU-TUBEにアップした’95の録音演奏です。

趣味とはいえギターをやっていて良かったな~と思っています。
数回にわたり『ギター雑話』のカテゴリーで

私のギターの歩み的な記事を連載しました。

今後共、ギターのブログになると思いますが、

是非ギター好きの読者の皆様、お立ち寄り下さい。宜しく・・


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ギターを教える楽しみを知った出会い [ギター雑話]

1968年にはタレガのタンゴのレッスンを受けてます。

教室通いの2年目でタレガのタンゴが弾けるようになりました。

P1010571.JPGタレガのタンゴの手書き譜です。

古い楽譜でタンゴを弾いてみました。


≪ギター仲間との出会い≫

当時のギター教室は横浜市神奈川区を第1教室の本室に第2~第5教室まで構えていました。

私は第1教室に通ってレッスンを受けていた訳です。

週1回のレッスンでした。 大立先生と娘先生で各教室を賄っていたのだと思います。

ある時、大立先生が体調を悪くしたみたいで先生が私に

「チョット頼みがあるんだけど」と言う事で先生の話を聞いてみたら,驚いたことに

生徒である私に「第2教室の生徒を少しの間だけ見て貰いたい」と言う話でした。

「先生!それは出来ませんよ!」

「ここの生徒は皆、初等科で曲を弾ける生徒はいないから大丈夫だから・・」

教える立場で無いのに生徒が生徒に教えるなんて??と思いながら了承しました。

第2教室は東京大田区の西糀谷に有りました。

週1回会社の帰り際に京急蒲田駅で降りて羽田線で糀谷駅まで行くのです。 

初めてこの教室へ行った時は、生徒から歓迎を受け驚きましたね。

事前に先生から連絡がされていたようで、気楽に接してくれました。

生徒は8人程で、全員がギターを始めて数ヶ月ぐらいの人達です。

小倉修著の初等科ギターテキストを教材に、ゴチャッペ乍、自分は教師的役目が果たせたのでした。

この当時で私は19歳ぐらいだったと思います。

約3ヶ月程、第2教室に通い、 更に自分のレッスンを受ける為、

別の日には第1教室へ通って鈴江先生のレッスンを受けていました。


いつの日かギター教室案内パンフレットに代教(代教)として

自分の名前が載っているではないですか!・・これには驚きましたね。

「先生、このパンフレットなんですかぁ?」

「あ!これ、・・気にしないでぇ」だってぇ・・

今じゃ思い出話だけど記念にパンフレット今でも有ります。

     [↓]当時の教室案内パンフレット(代教に何故か私の名前が・・)

?img_0.jpgimg_2.jpgimg_5.jpg



この事により、人に教える事の楽しさを覚えてしまいました。

職場でギターサークルを作る事にしたのです。

度胸も当時有ったので会社でギターを演奏して、

ギターの楽しさを知って貰いたかったのです。

皆が知っている≪禁じられた遊び≫で仲間を引寄せました。

これが大成功で職場の仲間が我も我もと「ギターを教えてくれ!」でした。

結局5名の人にギターを教えて何とか簡単な曲が弾けるようになったのです。

≪ドナドナ≫≪パサカリエ≫≪ジャニーギター≫≪桜≫

などを重奏で下手ながら皆で楽しんだわけです。

社長もソロで弾く≪マリア・ルイサ≫の曲が気に入って、

ギターサークルメンバーに「コンサートを観て来なさい!」と言って下さり、

チケット代と食事代などの代金を支払ってくれました。

ジーク・フリート・ベーレントのギターコンサートを

社員ギター仲間を連れて東京で聴きに行きました。

このサークル2年で熱が冷めてしまいましたけど・・・(笑い)


22歳~24歳頃は住まいの近所の子供にもギターを教えた事が有るんです。

先生では無いので全て遊び心で教えていたのです。(ボランティアのようなものです)

家でギターを弾いていたら、隣の奥さんが「うちの子供に教えて下さい」

と言う事で 中学3年生の男の子にギターを教えてやりました。

その後、近所で口利きなのか? 小学生と高校生の子にギターを教えてやりました。

大きくなったら専門のギター教室へ通うように進めました。


ここに当時の中学3年生に私が教えていた貴重な音声ファイルが有りましたので、

聴いて下さい。「ラリアーネ祭り」を教えている音声です。


私、音次郎のインチキ先生が中学生に「ラリアーネ祭り」の演奏を教えています。

音次郎の若き日の肉声が入ってます。(笑って下さい。)

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初めてのギター教室通い [ギター雑話]

≪ギター教室の出会い≫ 1967年頃
場所は旧国鉄(東神奈川駅)と京浜急行(仲木戸駅)の間に挟まれた
ギター教室でした。(現在はこの場所にはギター教室は無いようです)
『大立ギター音楽園』に入門致しました。 
初等科から習うわけです。
このギター教室は2階が教室で1階は住まいとなっています。
狭い階段を上ると14畳ぐらいの集合練習場所と
畳程の個人指導レッスン場所が有ります。
集合練習場所で生徒は先生に呼ばれるまでギターを練習しています。
お互いにギターを弾いているので、うるさくて練習にならない。
夏場はもっと最悪!・・
この時代は冷房設備が無く、窓を全開して外の自然風・・
更に悪いのが国鉄沿線と京急沿線で電車が通る度、騒音が凄い!・・・
このような環境でギターを習うわけです。 
ギターの先生は生徒に教えるときは、時には優しく、時には厳しい、
そんな先生でしたネ。 
ギター教室は第5教室を構えていたようです。
 
テキストは小倉 修:著書編「初等科ギター教室」の出版譜でした。
1年後には『カルカッシの斬新的練習曲』のテキストで指導頂きました。
初めて習った曲は『オーソレミオ』
その後、『ラ・グリマ』『アデリータ』』『ギャロップ』
『禁じられた遊び』『ラリアーネ』『タンゴ』他ポピュラー曲や流行歌など・・・
1968年に習った当時の楽譜で弾いてみました。
 
ギター教室での行事計画を
立案する時も、
私は積極的にギター教室の
ギター仲間に
参加を呼びかけ
協力をして頂きました。


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初めて買った手工ギター [ギター雑話]

1965年頃、銀座日本楽器店にて初めて手工ギターを買いました。
楽器店の店内は輸入品高級ギターがウィンド・ケース内に陳列され、
当時でも輸入ギターは50万円~100万円程度の値が付いていたと思います。
国産ギターでは河野 賢・中出坂蔵・中出六太郎他黒沢ギターなど、
各ギター製作家の作品が店内に沢山陳列され、驚きました。
国産ギターも5万円~15万・20万円ぐらいの値が付いていたと思います。
この時代、18歳でウン万円のギターを買うこと事態が大変な事でした。
何とかコツコツお金を貯めて、やっと5万円貯めて銀座まで買いに来た訳です。 
ギターの知識も無く、目移りしてどれを買ってよいか判りません!
店員の方が指を差したギターを取って頂き、
その都度と店員がギターを演奏してくれるのです。
あまりギターに詳しくないお客と判断したのでしょうか?
簡単な曲を弾いてくれたのです。
・・・どの音が良いのか?・・これすら判りません!
店員が演奏する曲の気に入った曲でギターを決めたのです。
何時まで経っても決め兼ねていたので、店員の18番を弾いたのです。
その時、弾いてくれたお気に入り曲は『禁じられた遊び』でした。
その『禁じられた遊び』を演奏したギターは
中出坂蔵 製作の5万円のギターで
このギターを買うことに決定した訳です。
嬉しくて夜もギターを眺めてましたヨ!
 
その後、NHKテレビ『ギター教室』だけでは物足りなくなり、
ギター教室へ習いに行こうと決心致しました。  



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逃げ回った三味線の稽古 [ギター雑話]

 ≪三味線の出会い≫
 
中学校を卒業して、伯母さんより三味線を習わないか?と言う、お勧めが有った。
 
伯母は長唄の師匠です。
稀音家淨観(稀音家六四郎)と言う文化勲章を戴いた方の門下。
家元の師匠より直接、長唄を伝授されたと聞いています。
伯母の家の玄関には稀音家六千代の表札が掛かっていました。
お弟子さんが何人か習いに来ていました。出稽古もやってました。
 
伯母の子供達は三味線に全然興味有りませんでしたのです。
16歳の私に三味線を持たされたのです。
渋々と畳に正座され、つま弾きで、初めて音を出したわけです。
正座は10分もしないうちに足がヒビレを切らし、嫌々でした。
2回目から適当な都合を付けて逃げ回っていましたヨ!
伯母は、私がギターが好きで一生懸命に弾いているのを聞いて、
この私に三味線を教えて、長唄の名取にさせて
後を継がせたかったのでしょうか・・??。  ムリ・ムリ
結局、奨められても自分は興味を示さず、伯母も諦めた様子! 
三味線の音色事態が嫌いだったのです。
今度、伯母の実妹の私の母に長唄を勧め、
母が三味線を習うようになったのです。
母は実姉である伯母から長唄を習い、
可也の腕を上げたように感じました。
 
今、思うと三味線は嫌い!と拒否していましたが、
この歳になると、「ぁあ長唄もなかなか粋で良いじゃないか」
と感じるようになりました。
 
でも自分にはギターがあるから、これで満足しています。
ギターは永遠の恋人のようなものです。

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初めてのギターの出会い・・「さすらい」 [ギター雑話]

今日は「ギターの初めての出会い」についてのお話をします。

私のギタキチは・・古い昔話からスタート!

ギターと仲良く暮らして56年です。

昔から今日まで、家の片隅にギターが立て掛けている。

弾かない日があっても、毎日ギターを目に通さない日はない。

56年の間にギターを弾いていた日が多かった。

其れだけ、ギターを触れているのだからギターは凄く上手いのだろうと・・誰しも思うが・・

上手く弾けない!・・何とか弾けている・・でも懲りずに今でもギターに触れて弾いている。

[るんるん]ギターの最初の出会い質流れのギターです。[るんるん]

質屋のウインドーに飾ってあった安物のギター・・

昔のことで2000円~3000円で質屋から買った記憶が有る。

この時代は何処の家も、裕福の生活はしていない貧乏生活だ!

中学生でギターなんて買えないよねぇ~

学生アルバイトで新聞配達で稼ぐ方法しか有りませんでしたね。

朝刊の配達で月/2000円ぐらいの配達料、 夕刊で月/1000円ぐらい貰えたかな?

そんなわけで皆で新聞配達して質流れのギターを買いましたよぉ~・・

そのギターを手にした時は嬉しかったですねぇ~

小林旭さんの「さすらい」を人差し指で歌いながら弾いていた。

小林旭さんのファンでしたねぇ・・

日活映画は好きで町の小さな映画館によく行ってましたよ。

「ギターを持った渡り鳥」この映画は全部見たんじゃないかなぁ~

この「渡り鳥」シリーズがギター始めたキッカケかも・・



学友仲間も同じように質流れのギターを買って、

仲間と集まってギターをガチャガチャ弾いていました。

 

この当時はハワイアンも流行っていて、

マヒナスターズなんかも好きで仲間と真似事をしていましたね。

そしてスティールギターを仲間が買って、

アロハオエをデタラメ演奏していた思い出があります。

中学の学友仲間でヒマナ・スターズのバンドを結成しました。(笑い)

このバンド名はマヒナ・スターズに似た名前を彩華って

ヒマナ・スターズというグループバンドです。(笑い)

 

当時は中学3年生でしたので、学校の勉強カバンを肩から吊るさずに、

ギターを肩に吊るして学校に通ってましたよ。(大笑い)

まぁ、これだから頭が悪いんですねぇ・・(またまた大笑い)

今日はギターの最初の出会いのお話でした。

 

これからも、面白可笑しなブログ記事を書くように頑張りますので

ギターの大好き人間様、是非気楽にブログへお立ち寄り下さい。

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さくら変奏曲 [ギター・マイ・ちゃんねる]


さくら変奏曲は田部井編の楽譜で弾いてみました。

明日、明後日は、お花見で桜名所は賑わいそうですね。

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