ギターを教える楽しみを知った出会い [ギター雑話]
1968年にはタレガのタンゴのレッスンを受けてます。
教室通いの2年目でタレガのタンゴが弾けるようになりました。
古い楽譜でタンゴを弾いてみました。
≪ギター仲間との出会い≫
当時のギター教室は横浜市神奈川区を第1教室の本室に第2~第5教室まで構えていました。
私は第1教室に通ってレッスンを受けていた訳です。
週1回のレッスンでした。 大立先生と娘先生で各教室を賄っていたのだと思います。
ある時、大立先生が体調を悪くしたみたいで先生が私に
「チョット頼みがあるんだけど」と言う事で先生の話を聞いてみたら,驚いたことに
生徒である私に「第2教室の生徒を少しの間だけ見て貰いたい」と言う話でした。
「先生!それは出来ませんよ!」
「ここの生徒は皆、初等科で曲を弾ける生徒はいないから大丈夫だから・・」
教える立場で無いのに生徒が生徒に教えるなんて??と思いながら了承しました。
第2教室は東京大田区の西糀谷に有りました。
週1回会社の帰り際に京急蒲田駅で降りて羽田線で糀谷駅まで行くのです。
初めてこの教室へ行った時は、生徒から歓迎を受け驚きましたね。
事前に先生から連絡がされていたようで、気楽に接してくれました。
生徒は8人程で、全員がギターを始めて数ヶ月ぐらいの人達です。
小倉修著の初等科ギターテキストを教材に、ゴチャッペ乍、自分は教師的役目が果たせたのでした。
この当時で私は19歳ぐらいだったと思います。
約3ヶ月程、第2教室に通い、 更に自分のレッスンを受ける為、
別の日には第1教室へ通って鈴江先生のレッスンを受けていました。
いつの日かギター教室案内パンフレットに代教(代教)として
自分の名前が載っているではないですか!・・これには驚きましたね。
「先生、このパンフレットなんですかぁ?」
「あ!これ、・・気にしないでぇ」だってぇ・・
今じゃ思い出話だけど記念にパンフレット今でも有ります。
[↓]当時の教室案内パンフレット(代教に何故か私の名前が・・)
この事により、人に教える事の楽しさを覚えてしまいました。
職場でギターサークルを作る事にしたのです。
度胸も当時有ったので会社でギターを演奏して、
ギターの楽しさを知って貰いたかったのです。
皆が知っている≪禁じられた遊び≫で仲間を引寄せました。
これが大成功で職場の仲間が我も我もと「ギターを教えてくれ!」でした。
結局5名の人にギターを教えて何とか簡単な曲が弾けるようになったのです。
≪ドナドナ≫≪パサカリエ≫≪ジャニーギター≫≪桜≫
などを重奏で下手ながら皆で楽しんだわけです。
社長もソロで弾く≪マリア・ルイサ≫の曲が気に入って、
ギターサークルメンバーに「コンサートを観て来なさい!」と言って下さり、
チケット代と食事代などの代金を支払ってくれました。
ジーク・フリート・ベーレントのギターコンサートを
社員ギター仲間を連れて東京で聴きに行きました。
このサークル2年で熱が冷めてしまいましたけど・・・(笑い)
22歳~24歳頃は住まいの近所の子供にもギターを教えた事が有るんです。
先生では無いので全て遊び心で教えていたのです。(ボランティアのようなものです)
家でギターを弾いていたら、隣の奥さんが「うちの子供に教えて下さい」
と言う事で 中学3年生の男の子にギターを教えてやりました。
その後、近所で口利きなのか? 小学生と高校生の子にギターを教えてやりました。
大きくなったら専門のギター教室へ通うように進めました。
ここに当時の中学3年生に私が教えていた貴重な音声ファイルが有りましたので、
聴いて下さい。「ラリアーネ祭り」を教えている音声です。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
私、音次郎のインチキ先生が中学生に「ラリアーネ祭り」の演奏を教えています。
音次郎の若き日の肉声が入ってます。(笑って下さい。)
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